この本は俺を変えてくれた
お題「人生を変えたと言える映画や本ってありますか? あればそのエピソード等教えてください」
乗っかるぞ俺は。
話題自体全く思いつかない俺にとってお題システムは非常にありがたいものだ。
はやくこのシステムに気がついていればもっと書くことができたろうに。
さあ、人生を変えた俺の一冊について書きたい。
あれは今から十数年前、中学では落ちこぼれでその地域の馬鹿のチャンピオンが集まってくるような男子校に進学したこの俺をまぁ、少しはまともな少年に変えてくれた心の一冊がある。
全五巻のハードカバーの本だったのだが俺はこの本をなんとはなしに出向いた市立図書館で見つけた。
この宮本むさ・・・。
えっ?
一冊じゃねえじゃねえかだって?
・・・・。
まぁ聞いてよ!!
この宮本武蔵は今は亡き俺のハゲた親父が小さい頃からよく俺に語ってくれた作品だった。
当時の俺はそれはもうゲーム少年で文学作品の類にはこれっぽっちも興味を示さなかった子供だった。
中学時代も家に帰ればゲーム&ゲーム。活字を視神経に通すと頭痛がしてくるほどアカデミックな事に関してはアレルギーを持っていたのだった。
親父が吉川英治の宮本武蔵の話を始めると「まーた始まったべい」とはいはいと流していたのだが、弱い十五の夏休みの事。
高校生最初の夏休みのある日。部活は無く、家にあったゲームにも飽きてきて「何か面白いことはないべか?」と悶々としていた日だった。
父子家庭だったので親父は仕事に出ていて俺は家に一人。
高校一年生なんぞ性欲の化身そのもので三秒に一回はエロいことに想いを馳せていたというのにこの日は何か神聖な気持ちだったのだ。
ゲームも飽きた、友達と遊ぶのも何だか億劫だ。
とりあえずチャリンコで外に出るべーいと向かったのが市立図書館だった。
クーラーがよく効いていて首筋に伝う汗を瞬く間に乾かしていくような館内をぶらついていると、それは目に飛び込んできた。
そうそれが『宮本武蔵』だった。
分厚くてでかいハードカバーのそれを手に取って数ページパラパラとめくりながら俺は「ほー、これがあの宮本武蔵かい。」と生意気に思っていた。
親父があんなに面白い面白いと言っていたのを思い出したので俺はさっそくそれを借りて家に帰った。
帰宅し、身体を狭い部屋に投げ出して読み始めた『宮本武蔵』の世界に俺はあっという間にのめり込んでいった。
時は関ケ原の合戦後。
宮本村の新免武蔵とその幼馴染の本位田又八は天下に名を挙げようと合戦に参加するもついていた豊臣方が敗北したために残党狩りに遭う場面から物語は始まる。
武蔵は無学無教養で野獣のような男であったので命からがら村に戻った後も様々な問題を引き起こすようなトラブルメーカーだった。
しかし滅法腕っぷしが強い男だった。なんと11の年で決闘を挑んできた武士を打ち殺しているという滅茶苦茶な強さだ。
そんな武蔵が宮本村で騒ぎを起こし再び追われる立場となって逃げ回っている最中、和尚である沢庵の一計で捕らえられてしまう。
武蔵を捕まえた沢庵和尚の言葉が今でも心に残っている。
「怒りは公憤でならねばならぬ。」
そして大木に逆さ吊りにされた武蔵。
その後は蔵に閉じ込められてしまうのだがこの場面が印象的だった。
野獣のような男である武蔵がその蔵で蝋燭の小さな灯りの下、万巻の書を読み始めて自分自身で教養を身に着け始めるのだ。
俺はこの場面を読んだ時、初めて心の底から勉強をしてみようと決意したのだった。
自分自身の手で教養というものを身に着けていこうとするこの武蔵の姿勢に俺は非常に感銘を受けたのだった。
そしてその日から俺は自分なりに学校の勉強に真剣に取り組み始めた。
決意の強さというものは凄いもので夏休み後の俺の成績はというもの、馬鹿校というのあったが成績はごぼう抜きで一位となった。
これほど勉強というものが楽しいものだったのか!と俺の思考は全く変わったのだ。
俺の勉強についてはまるで諦めていた親父が非常に喜んでいたのが思い出される。
その後はずっと成績は1位で私立だったので特待生扱いで学費も免除となった。
一巻読み終わっては図書館へ赴き、続きを借りる。
そうして二か月ほどで『宮本武蔵』を読み終えた後、国語の教科書に紹介されるような本は全て読もうと決めて様々な本を乱読した。
夏目漱石、森鴎外、遠藤周作などなど著名な作家の著書は粗方読んだと思う。
極めて無教養だった俺をまあまあ教養のあるような人間にしてくれたのは『宮本武蔵』だった。
あの頃ほど本を読むときの高揚感と満足感を覚えた時期は無い。
そうして十数年経った今ではあの頃のような感受性の高さが既にないというのが少し寂しい気持ちだ。
しかしこの本は確実に俺の人生を変えてくれた。
ありがとう『宮本武蔵』。