白帯ですよ!!!!

空手を始めた社会人のあれこれ

夏になると思い出す。チャリ通を始めたあの日の事を。

あちい。

 

また来ましたね、夏が。

 

春夏秋冬の四季の中で一番好きな季節が夏だ。

 

海に山。夏の縁日に花火大会。

気になるあの子の浴衣姿が・・・

 

 

と思ったか?

 

 

ちげえ。

 

 

 

俺にとっての夏とは

 

 

バカみてえな直射日光に晒され、汗水垂らしながら熱中症寸前となりながら通うバイト先までの道のりだ。

 

 

あれは今から四年前の夏、俺は一身上の都合で絶賛フリーター中だった。

バイト先はメトロポリス東京の渋谷にあって日夜えっちらほっちら通ってはシフトをこなしていた時の事。

 

俺は夏にウンザリしていた。

汗っかきの俺は家から駅までの道のりで既に衣服は水を被ったかのようになるのでまずトイレの個室で汗拭きペーパーで身体を拭いた後にシャツを着替えていた。

しかし俺の身体に備わっている汗腺は凄まじい程の稼働率を誇っているので汗が止まらない。

 

そんな状態で乗り込む満員電車が凄まじい地獄だった。

まず周りの人々への申し訳なさが凄まじいし、汗でべたつく自分の身体に対して怒りの炎が燃え盛るので余計に汗が止まらない。

マジ申し訳なかったなぁ・・・。

 

そして何より交通費が掛かる。

バイト先では交通費の補助がなかったので掛かる定期代が貧乏な家計を圧迫していたのだった。

 

 

そうして電車に揺られながらフリーターの俺の頭に天啓。

 

 

車窓から見える過ぎ去っていく風景を眺めながら俺は思った。

 

 

 

 

「チャリ通にすれば良くね?」

 

 

善は急げという。

チャリさえあれば人間はどこまでも行ける。

交通費も俺の体力と引き換えだ。

 

 

俺はすぐさま持っていたボロい原付を業者に売っぱらった。

そうして得た金を握りしめて近所の自転車のあさひに乗り込んだ。

 

俺は決めていた。

 

 

無骨な外観に備え付けられたファットなタイヤ。

どんな酷道もその頑強な車体で走破せんとひた走る。

 

 

マウンテンバイクだ。

 

 

リーズナブルな値段のマウンテンバイクを指名買い(店員さんへの相談など一切なし!!!!)し、俺はホクホク顔でそのバイクに跨って帰路につく。

 

 

 

俺「さーてバイクも買ったし明日からチャリ通チャリ通♪」

 

俺「あっ、そういえば忘れてた。」

 

 

俺「家からバイト先までどれくらい距離あるんだ?」

 

 

俺の頭の中はチャリ通をするということでいっぱいでこれから通う距離のことなどすっぽ抜けていた。

 

 

そして調べて出てきた距離

 

 

 

片道24キロ

 

 

往復48キロ

 

 

冷や汗が出た。

 

 

そしてさらに調べるとどうやらマウンテンバイクはこの長距離の通勤にはそれはもう向いていない代物であるらしかった。

 

 

 

生まれてこの方勢いだけで生きてきた自分をこれほどまでに恨んだことは無かった。

 

 

 

だが、電車通勤とチャリ通を天秤にかけた時

 

 

チャリ通の方が凄まじく重かった。

 

 

 

そうして始まった24歳底辺フリーターのチャリ通。

 

 

 

 

地獄の始まりだったですよ。

 

 

 

P.S.

気が向けばこの地獄の日々のことを書いちゃおうかな♡

 

 

・・・今思えば原付で通えば良かったんじゃ?

 

この本は俺を変えてくれた

お題「人生を変えたと言える映画や本ってありますか? あればそのエピソード等教えてください」

 

乗っかるぞ俺は。

 

話題自体全く思いつかない俺にとってお題システムは非常にありがたいものだ。

はやくこのシステムに気がついていればもっと書くことができたろうに。

 

さあ、人生を変えた俺の一冊について書きたい。

 

あれは今から十数年前、中学では落ちこぼれでその地域の馬鹿のチャンピオンが集まってくるような男子校に進学したこの俺をまぁ、少しはまともな少年に変えてくれた心の一冊がある。

 

それは吉川英治の『宮本武蔵』だ。

全五巻のハードカバーの本だったのだが俺はこの本をなんとはなしに出向いた市立図書館で見つけた。

この宮本むさ・・・。

 

えっ?

 

 

一冊じゃねえじゃねえかだって?

 

 

・・・・。

 

 

まぁ聞いてよ!!

 

 

この宮本武蔵は今は亡き俺のハゲた親父が小さい頃からよく俺に語ってくれた作品だった。

当時の俺はそれはもうゲーム少年で文学作品の類にはこれっぽっちも興味を示さなかった子供だった。

中学時代も家に帰ればゲーム&ゲーム。活字を視神経に通すと頭痛がしてくるほどアカデミックな事に関してはアレルギーを持っていたのだった。

親父が吉川英治宮本武蔵の話を始めると「まーた始まったべい」とはいはいと流していたのだが、弱い十五の夏休みの事。

高校生最初の夏休みのある日。部活は無く、家にあったゲームにも飽きてきて「何か面白いことはないべか?」と悶々としていた日だった。

父子家庭だったので親父は仕事に出ていて俺は家に一人。

高校一年生なんぞ性欲の化身そのもので三秒に一回はエロいことに想いを馳せていたというのにこの日は何か神聖な気持ちだったのだ。

ゲームも飽きた、友達と遊ぶのも何だか億劫だ。

とりあえずチャリンコで外に出るべーいと向かったのが市立図書館だった。

 

クーラーがよく効いていて首筋に伝う汗を瞬く間に乾かしていくような館内をぶらついていると、それは目に飛び込んできた。

 

そうそれが『宮本武蔵』だった。

 

分厚くてでかいハードカバーのそれを手に取って数ページパラパラとめくりながら俺は「ほー、これがあの宮本武蔵かい。」と生意気に思っていた。

親父があんなに面白い面白いと言っていたのを思い出したので俺はさっそくそれを借りて家に帰った。

 

帰宅し、身体を狭い部屋に投げ出して読み始めた『宮本武蔵』の世界に俺はあっという間にのめり込んでいった。

 

時は関ケ原の合戦後。

宮本村の新免武蔵とその幼馴染の本位田又八は天下に名を挙げようと合戦に参加するもついていた豊臣方が敗北したために残党狩りに遭う場面から物語は始まる。

武蔵は無学無教養で野獣のような男であったので命からがら村に戻った後も様々な問題を引き起こすようなトラブルメーカーだった。

しかし滅法腕っぷしが強い男だった。なんと11の年で決闘を挑んできた武士を打ち殺しているという滅茶苦茶な強さだ。

そんな武蔵が宮本村で騒ぎを起こし再び追われる立場となって逃げ回っている最中、和尚である沢庵の一計で捕らえられてしまう。

 

武蔵を捕まえた沢庵和尚の言葉が今でも心に残っている。

 

「怒りは公憤でならねばならぬ。」

 

そして大木に逆さ吊りにされた武蔵。

その後は蔵に閉じ込められてしまうのだがこの場面が印象的だった。

 

 

野獣のような男である武蔵がその蔵で蝋燭の小さな灯りの下、万巻の書を読み始めて自分自身で教養を身に着け始めるのだ。

 

 

俺はこの場面を読んだ時、初めて心の底から勉強をしてみようと決意したのだった。

自分自身の手で教養というものを身に着けていこうとするこの武蔵の姿勢に俺は非常に感銘を受けたのだった。

 

そしてその日から俺は自分なりに学校の勉強に真剣に取り組み始めた。

決意の強さというものは凄いもので夏休み後の俺の成績はというもの、馬鹿校というのあったが成績はごぼう抜きで一位となった。

これほど勉強というものが楽しいものだったのか!と俺の思考は全く変わったのだ。

俺の勉強についてはまるで諦めていた親父が非常に喜んでいたのが思い出される。

その後はずっと成績は1位で私立だったので特待生扱いで学費も免除となった。

 

一巻読み終わっては図書館へ赴き、続きを借りる。

そうして二か月ほどで『宮本武蔵』を読み終えた後、国語の教科書に紹介されるような本は全て読もうと決めて様々な本を乱読した。

夏目漱石森鴎外遠藤周作などなど著名な作家の著書は粗方読んだと思う。

 

極めて無教養だった俺をまあまあ教養のあるような人間にしてくれたのは『宮本武蔵』だった。

 

あの頃ほど本を読むときの高揚感と満足感を覚えた時期は無い。

 

そうして十数年経った今ではあの頃のような感受性の高さが既にないというのが少し寂しい気持ちだ。

しかしこの本は確実に俺の人生を変えてくれた。

 

ありがとう『宮本武蔵』。

 

 

白帯でしたよ!!!!

空いた。

 

久々にブログを開けばなんと280日ほど空いていたようだ。

月に換算すれば・・・。めんどくさいから各々適当に見繕ってください。

このブログでは空手のあれこれとこの私の低い精神年齢で考えたことを書き連ねていくつもりだったのだが、それが出来ずにいた。

 

なんといっても空手の白帯。

 

白帯如きが偉そうに書けることなどほとんどなく、仕事の方も鼻水垂らしながらピーピーやっていたのでこのブログを大分放置してしまっていた。

 

道場の門を叩いたのが今から約一年前のこの時期。

世間を斜に構えて見ていてフラストレーションonマイマインドな俺を見た師範たちはさぞかし「なんだこのバカは????」と思っただろう。

 

だが俺はいたって真剣だった。

 

 

やらせろ。

 

 

俺はこの一心だった。

こう書くと何だか性欲魔人のハイパーセクシャルハラスメントに聞こえるがとにかく俺はいたって真剣でした。

これだけは信じてください。

 

どれくらい真剣だったかというと、先の記事で書いたあの巻き藁『武田観柳斎』を近所の公園で深夜に打ち込んでいたら職質を食らったほどだ。

 

「あっ、そのっ、あれっす、空手っす。」

 

警察官二人組は憐れんだかのような対応をしてくれたのが至極印象的だった。

 

大会にも出場した。

地区大会の色帯クラスではあるものの形の部で優勝し、組手の部で準優勝もさせてもらった。

生まれてこの方、表彰と賞状には無縁だった私にとってこの経験は非常に貴重なものだった。

 

そうして稽古を重ねていく内に帯は茶帯となった。

 

この一年で考え方と物事の捉え方はだいぶ変わったように思う。

 

そんな最近の私の近況だが

 

一つだけ変わらないものがあることに気づいた。

 

 

小3の道場生「じゃんけんぽん!!!!」

 

 

俺「あああああ!!!負けたあああああ!!!!」

 

 

 

 

精神年齢の低さぁっ!!!!!

 

 

P.S.

 

道場の少年部と日夜じゃんけん対決を挑まれては真剣に一喜一憂している自分が居る。

 

一体いつになったらイカした大人になるのだろうか?

助けて?

 

巻き藁と羞恥心との闘い

空手の稽古には部位鍛錬というものがある。

ビール瓶で脛を叩いたり、硬いモノを殴って拳を鍛えたりする稽古である。

その拳を鍛える伝統的な稽古として巻き藁突きというものがある。

地面に突き刺した木の板に藁を巻いたものをひたすら突くというものだ。

突きだけでなく手刀や貫手を鍛えるのにも最適だという。

先生のいうことにならって俺はこの稽古に勤しむことにした。

しかしあいにく通う道場には巻き藁が無い。

 

俺が住む所はメトロポリスTOKYOの安アパート。

アパートの軒先に木の板ぶっ刺すわけにはいかず、家の中に作ろうかと一瞬頭をよぎったが敷金が怖いし隣の住人が鬼の形相で乗り込んでくる可能性が高い。

 

何か良い方法は無かろうかとスマホでネットをちょいちょいやっているとネットショップで『ポータブル巻き藁』なるものを発見。

善は急げと俺はブタさん貯金箱を叩き割って着払いで購入した。

 

そしてやってきた『ポータブル巻き藁』。愛着を持って『武田観柳斉』と名付けた。

 

さて、このポータブル巻き藁『武田観柳斎』。

上下方に付いているゴムバンドを木や柱やらに巻き付けて使用する便利品。

木や柱さえあればいつでもどこでも拳を鍛えられるスグレモノである。

手に持って軽く叩いてみるとこいつが中々硬派な奴で俺のチャラついた拳が痛い。

この武田を俺は拳で粉砕してやろうと意気込んでいたものの突いたら粉砕骨折しそうだ。

まぁ、いい。ゆくゆくは武田を粉砕してやろう。

 

さぁ!!!!早速巻き藁突きの稽古へGO!!!!!

 

休日の夕方の近所の公園。

手ごろな木を見つけてさっそく武田を巻きつける。

 

 

 

俺「・・・・・・・。」

 

 

 

 

夕方の公園。

 

散歩をする人々。

 

遊ぶ子供たち。

 

ラソン人が行き過ぎる。

 

木に巻き藁を巻きつけてその傍に佇む独身男性(27)。

 

 

これ恥ずいな。

 

うん、恥ずかしいな。照れちゃう。

 

 

だが男子一匹、自意識過剰は良くないぞ。

 

そんなへちゃむくれなお前を誰も見ちゃいないんだ突け、と叱咤する師範の姿が思い浮かぶ。

 

意を決して突く。

 

 

 

 

 

いったぁい・・・。

痛いよこれぇ・・・。

 

武田観柳斎は硬い奴だ。拳が粉砕骨折しそうだ。俺が甘かった。

 

そして恥ずい。

 

誰も見ちゃいないと開き直ったが明らかに視線を感じる。

年寄りのおっちゃんがなんか向こうで見ている。

 

 

俺が中坊、高坊の頃なら「俺、やってるぜ!!」という高揚感に酔いしれて打てただろう。

しかし俺もいい大人である。やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰った。

 

 

P.S.

 

今は深夜に時間帯を移して目立たぬように巻き藁を突いている。

通報が怖い。

空手を始めたきっかけ

思えば俺は子供の頃からひねくれ者の天邪鬼だった。

全員が右を向けば左を向きたくなり、やれと言われれば全くやりたくなくなり、威張られると鼻をほじりながら反抗したくなる。

なんとなく流行りというものに冷めていて、流行りが廃れてからそれに触れて「いいじゃん!!コレ、いいじゃん!!」とその流行りが世間の周期から大きくズレてやってくる。その姿はまるで残飯を漁る飢えた餓鬼のようである。

漫画や小説の物語では脇役が好きになり、世間がAdoやBTSを聴けばさだまさしばんばひろふみを聴き、世間がなんらかのドラマで話題を賑わせれば俺は子連れ狼を観ている。

インスタやツイッターなどのSNSもなんとなくやっていないので話題にもついていけず、話を振られれば「そうか!!」、「大したもんだ!!」の二点張りで人が次から次へと離れていく。

 

我ながら困ったものである。

このしちめんどくさい性格のおかげで残った友人の数はわずかに二人。

これも中々のめんどくさい豪の者で類は友を呼ぶとはよく言ったものである。

それに俺は友人と思っている彼等も俺の事をどう思っているのかは全く分からん。

もしかしたら友人のゆの字も思っていないかもしれない。

 

そんなしちめんどくさい俺も育ちに育って27歳である。

お蔭様でなんとか生きている。

 

突然だが俺は燻っていた。ぶすぶすと。

 

酒を飲んでウェイ、スタバでウェイ、マッチングアプリでウェイという世間の流行り(完全な独断と偏見)には脊髄反射で鼻をほじって煽りと野次を飛ばしたくなる。

ヤフーニュースにはクソ程どうでもいい芸能ニュースがウクライナ情勢の上に来て、聞かれても求められても居ない輩のコメントでコメント欄は地獄の様相を生み出している。

肝心の男どもは煌びやかな女性の自撮り写真に群がっている。

 

 

人生一度しかないんだから楽しんだもん勝ちっしょ!みたいなことを同僚から言われれば「なめんな殺すぞ。」と言いたくなる。

 

会社に行けば暇な営業部の旦那が愚痴りに我が部署にやってくる。

昼休みとなれば同僚達は金の話や女の話、スマホゲーの話題で持ちきりだ。

そんな時俺は「これが本当のパワーハラスメントでぇい!!!!」、と暴れて威力業務妨害をしたくなってくる。

 

とはいえしちめんどくさい俺も人の子である。

そんなことを言えば白い眼で見られるし、そんなことをすれば手が後ろに回りかねない。

それくらいの分別はあるつもりだ。

 

しかし一体なんだこのモヤモヤは。

行き場のないモヤモヤは。

訳も分からず暴れて怒りたくなってくる。

 

そんな時にある動画がyoutubeおすすめに上がってきた。

 

それが空手だった。

 

ただひたすらに巻き藁を打つ、型を打つ、鍛える。

そこにはなんの飾りも無くそれ以上もそれ以下もない。

俺にはそれが堪らなく魅力的に思えた。

 

そして居ても立っても居られずに空手道場を探し始めた。

そして辿り着いたのが某所にある沖縄伝統空手の道場。

 

見学をしたその日に体験。

そして入門した。

 

そして思ったこと。

 

 

「こんな楽しいことがあったのかよ!!なんで早く教えてくれなかったんですか!!?」

 

とまぁそんなことで空手を始めたわけです。

白帯が黒に変わるまで頑張りたいと思います。